2018/12/31
独裁者がいない独裁国家…。(投稿者:マイケル竹若)
ブログネーム、マイケル竹若です。
先日図書館に本を返しに行ったとき。
併設されている文化施設で市民が参加する
文化祭が開催されていました。
絵画や工芸品や華道などが
展示されていました。
さまざまな作品が展示されているなかで
ふと目に止まったのが幼稚園児たちが描いた
芋掘りの絵でした。
それはゾッとする光景でした。
画用紙のした半分を茶色で塗り潰し
上側3分の1を青いクレヨンで塗りつぶして
画面右上側に赤い太陽。
左側に体操着を着た園児。
右側には土から引き抜いたさつまいも…。
一見すると園児が描いた微笑ましい絵です。
私が戦慄を覚えたのは
全ての絵が同じ構図で同じ色に
塗られていた事です。
その光景はまるで社会の闇を表した
現代美術のインスタレーションを見てるようでした。
他に絵が思いつかなかったのか?
例えば空から俯瞰した構図で芋掘りしたり
採れたさつまいもをアップに描いて
迫力ある絵を描くなどもっと色々考えられるのに
横並びで同じ絵を描く…。
芋掘りの絵は下半分を茶色で土を描き
上3分の1は青いクレヨンで空を描き。
赤いクレヨンで右上に太陽を描く。
左側に芋掘りをしてる自分を描き
右側に掘り返した芋を描く。
そういったマニュアルがあるのかと疑うほど
指導する先生も含め集団催眠に掛かってる
まるで共産主義の国…。
日本の教育現場では全体主義が蔓延していると
戦慄しました。
イジメ対策で個性を出せないような空気感があるのか?
恐らく、人と違う事をして何かイジられたりされないよう目立たないをようにするためはじめに描き出した
子の絵を真似したのではないかと思われます。
かつては高度経済成長期同じものを大量に生産する場合は個性より協調性が求められました。
(日本では協調性というより同調性)
その国民性も相まって
戦後の日本は高度経済成長を遂げました。
それはアメリカが日本を資本主義社会の理想郷に
発展させて共産主義がアジア圏で広がらないよう
防護壁としての意図がありました。
しかし高度経済成長期の日本の経済モデルは
一億総中流、終身雇用、国民皆保険制度
など世界から「最も経済的に発展した共産主義国」
と揶揄され、共産主義への防御壁が
共産主義の理想郷を短期間だけども実現させる
皮肉な結果に終わりました。
先日も日産自動車元社長カルロス・ゴーン氏が
逮捕された事件でも海外メディアから
共産主義の中国のような逮捕劇と批判されています。
国民の生命を脅かした原発事故や
自殺者を出した改ざん事件については
刑事責任を問えなかったのに
民間企業の権力闘争に国家権力が
介入する事態を招いています。
(報道ではルノーが企てた日産の合併を
阻止する為の措置と見られています。
経済ナショナリズムの様相を呈してます。)
何がこういった国民性の原因になってるのか?
幸いにも島国で外国勢力からの蹂躙を本土に至るまでの
受ける経験がなかった。
市民革命の経験が無いなどの理由が考えられます。
何処か軽薄な国民性の一因になってます。
脳科学的にもドーパミン受容体が外国人に比べて
敏感な作りになっていて刺激に敏感で
新奇性を嫌う傾向があるそうです。
その為に責任と主体性を持って矢面に立つ行動を
することが苦手な人種なのかもしれません。
日本人の国民性は強いリーダーシップを望む半面
権力について強く嫌う矛盾した願望を持っています。
そして、村社会で集団の風紀を乱す行為をよく思わない
風潮があります。
農業などの一次産業や同じ物を大量に生産する
工業社会ではその風潮は良い結果に繋がりましたが
今ではむしろ人とは違うアイデアが必要とされます。
学校教育も企業経営においても高度経済成長時代の
風潮に縛られて時代を動かすようなアイデアが
出なくなっています。
世界中の企業を時価総額でランキングすると
30年前ぐらいはアメリカ企業と日本企業で
ニ分していたけれど
今は日本企業はランキングしていません。
面接で報酬に関する質問はご法度という風潮も
手書きの履歴書を書く風潮も
付加価値の高い生産ができない表れだと思います。
日本では生産性と言うと
一円でも安く作ろうという意識ばかりで
一円でも高く買ってもらおうと言った意識が低い。
また、日本人の平均寿命が伸びている反面
日本企業の平均寿命は短くなっています。
企業に生涯を捧げても、先に会社が潰れたり
あるいは、労働者が身体が不自由になったり
老化して生活が困難になっても生活保障はしてくれません。
現に弊社では年長者は老後に向かっての小遣い稼ぎで
出荷期限が明日という急なしごとが来ても構わず
定時になれば帰宅しますし。
若年者は転職を見据えて社外研修に参加するような
志気の低い雰囲気が蔓延しています。
(就職・転職情報を提供するリクルート社は社員が
転職や起業することを前提にして採用活動をしています。)
そう言った現状を鑑みて政府は複業を推奨しているのに
複業について企業は積極的ではありませんし
労働者側も複業を意識したキャリア形成をしている人は
少数派です。
手段が目的化してしまうのも日本人の傾向として
往々にして見られます。
働き方が改革で残業抑制の風潮が広まれば
残業ゼロが逆にノルマになり
定時になれば強制的に電源を落とす企業もあります。
戦略よりも戦術にこだわる国民性。
デザイナーの業界でも日本人のデザイナーが懇親会などで集まれば話の内容はデジタルツにツールなどの
デザインに関する技術的、技法的な話題に終始する一方
海外のデザイナー達は政治や経済に関する話題が
中心になるそうです。
大局観を見失い、形式化、形骸化…。
必要ない仕事を生み出し、何のための業務なのかも
疑問に思わず、人手不足と嘆く。
共産主義はどんなに働いても報酬は同じと言う経済システムで
人々のヤル気を暴い社会が荒廃するデメリットが有りましたが
何故だが今の日本はその共産主義のデメリットと同じ現状に
陥っています。
そういった貧しい社会では
往々にして独裁政権が生まれます。
しかし日本では前述した、責任と主体性を持って
行動する事を忌避する国民性と権力を嫌う国民性が伴って
明確な独裁者がいない独裁国家となる可能性があります。
その社会に居座る独裁者は「無関心・無責任」と
言えるでしょう。
無関心というのは、何かに興味を示さないという
だけではなく、持論や成功体験に凝り固まった姿勢も
無関心と言えるのではないでしょうか?
仕事が出来ないと言って切り捨てる風潮は
その人が生活保護受給者になるかも知れないと
言った想像力が足りない。その負担が自分もしくは
自分の子供に税金としてかかる想像力がない。
自社の固定費を抑え不採算な資産を切り捨てる
日本社会がより良い発展をするかでは無く
自社の発展だけを考える
昭和的な思想に凝り固まっている。
切り捨てられた人に対しては有効な手立てがなく
生活保護、借金、精神崩壊、自暴自棄から起こる
通り魔的犯罪、自殺に至る可能性があります。
中には何かの才能に目覚めてインターネットを通じて
収入を得る人もいるかも知れませんがごく少数でしょう。
数多ある企業が資産やノウハウを出し合い
社会不適合者の烙印を押された人たちが活躍できる場を
創出する社会的責任があります。
この提言は社会主義、共産主義的な提案に
思われると思いますが、今の日本社会は自社利益追求
を第一目標に掲げた企業とその企業に支持された政治家が
狭い世界だけの利益追求に奔走しています。
現に入管難民法や定年延長制度は大企業や高齢者など
現政権の支持層に向けた政策です。
その状況は隣の共産主義の国とお同じ状況に陥っています。
このまま個人や企業や小さなコミュニティだけの
利益だけ求め続けると、例えば人類を一つの生命体と考え今も
その生命が進化の途中で、日本社会がアポトーシスとして
消滅する過程にあるのかもしれません。
人類にとって日本社会が消滅することは
猿人が人類に進化する過程で消えた水かきや
尻尾のように消滅しても差し障りない
存在なのかも知れませんが
個人の魂は身体に縛られていますし身体は
人種、国籍に縛られています。
個人が生存して行くには個人同士が
イデオロギーの対立ではなく連携して
乗り越えなくてはなりません。
平成という時代は昭和という時代の独裁を受け
昭和の過ちの清算に追われるだけに終わりました。
これからの社会は否が応でも多様性が
求められる社会になります。
芋掘りの絵を描いた子供達が同調圧力や場の空気を
読んで描いた観念の絵では無く。
自分の目で感じた色。自分の手で感じた肌触りを
絵にできる創造力豊かな社会になって
社会不適合者の居ない世界になる事を切に願います。
社会に馴染めなかった私の経験がこれからの時代を担う
人の教訓になればと思います。
以上。